2002/3/5(火)〜2002/3/8(金) 上海へ視察旅行へ行きました。 |
予定表 |
3月5日(火) 1日目
3月6日(水) 2日目
3月7日(木) 3日目
3月8日(金) 4日目
【宿泊ホテル】 南新雅華美達大酒店
ラマダ・プラザ・シャンハイ ホテル 南京東路の中央に位置し、便利で4ツ星ホテル 【参加者名簿】 会員14名 非会員3名 添乗員1名 合計18名
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参加者の感想 |
百井 和義
又2日目のエース上海工場では、工員に対して、毎月評価され、目標達成できなかった場合はレッドフラッグが明示され3ケ月間続いた場合は首切りになる厳しさを持っている。又エースも他の工場と競争の戦いであるという。その後の華東地区の交易展示会を見る。産展4号館が5個並ぶ大きさに、びっしりと出店している。扱っているものもほとんど日本でも見るものばかり。ほとんどが中国で生産されているのだと改めて知らされる。 3日目ようやく流通視察ができる。もっともトレンディーな街、新天地はお台場のような雰囲気を持ち、そして伊勢丹、日系百貨店は所得トップ5%を客層として他店と差別化している。しかし接客に対してはまだまだである。一例をあげるとまず店員に笑顔がない事。有難うの言葉がない。まだ買うとは言っていないのに勝手に袋に詰めようとする強引さ。 初めての中国視察。大変有意義な3日間であった。決して観光視察でなく今回現地の人の話が聞けた事。それも我々の為に本音で語っていただけた事に感謝したい。食事も全て大統領が来られて食された店ばかり。そこでの本場の中国料理はおいしいの言葉より、贅沢さを感じる。手配していただいた現地のコーディネーター呉さんやデスタンの応さんの献身的な働きには頭が下がる思いである。 魅は与によって生じ、求によって滅す。の言葉のように、今回関わった人達は本当に与えることによる、魅力的な人たちであった。 ![]() ![]() ![]() |
吉村 外喜雄
上海に近づくにつれ、視界に飛び込んでくる超近代的高層ビルの林立。アメリカの大都会と見がまうばかりの風景です。そして道路をひとつ隔てた、昔ながらの貧しい街並みとのアンバランス。それが上海の風景でした。その超近代的高層ビルのまん前の道路の並木に、道路向かいの住人たちが、みすぼらしい衣類・布団を干している。日本人の私にとって、正直理解に苦しむ風景でした。 しかし、ホテル前の道路や公園は、ディズニーランドのごとく清掃が行き届き、ゴミ一つ落ちていません。街路でたばこを吸っている人は皆無で、吸殻一つ落ちていないのには驚かされました。 市民の衣と住、ファッション感覚は、昭和40年代の日本のレベルに近く、自家用車は二千万円以上。庶民の手には届かないところにあるようです。女性の身なりも質素で、髪を手入れし、美しく化粧し、ミニスカートにパンストといった、日本のどこにでも見られるような女性の姿は見当たりません。 流行・ファッションに関心を示す生活レベルには至っていないようです。 最も生活水準の高い上海ですら、物価は日本の十六分の一。市民の給与平均は九千円くらいだそうです。急速に都会化し、近代化が進む中で、一般庶民と、事業に成功した人たちとの所得格差は日本の比ではなく、社会主義国でありながら、資本主義的貧富の差が社会現象となりつつあるようです。 そして今、上海市民が一番欲しいものは、新築のマンションだそうです。市民が挨拶代わりに交わす言葉は、「改装しましたか?」なのです。 夜の繁華街は、ビルを照らし出す照明と、華やかなネオン。さながらラスベガスのような豪華さです。しかし一歩裏通りに入ると外灯もなく、ひっそりと静まりかえり、私達が足を踏み入れるのを拒むような暗闇です。 時折り「電力不足で停電になる」と聞くにおよび、市民の幸福に直結した政治が行われているのだろうかと、疑問に思います。 一千三百万人もの大都会にも関わらず、庶民の足となる地下鉄や、東京の山の手線のような交通インフラの整備も不十分で、近代的ビル群や、造成したばかりの公園、そして広い道路がやたらと目立つのです。 古くてきたない街区をどんどん取り壊し、近代的高層マンションを到る所に建築しているのも、社会主義国だからの技ではないでしょうか。 戦後の成長期の日本のように、物質的欲求と豊かさを求めて働いているのでしょう。そんな庶民の姿に、今の日本人が忘れている、エネルギーの高さを感じました。二十一世紀、中国が世界の経済をリードしていくであろうことは、疑う余地もありません。 三日目の朝、六時半にホテルを出て、近くの朝市と公園を歩いてきました。輪島の朝市さながらに、あふれんばかりの人、人、人。公園は、太極拳や剣舞を舞う老若男女の姿。同時刻の日本の朝は静まりかえっている。そんな日本と中国の違いを思うと、日本人はおごれる平氏のごとく思われてなりません。 昨年ハワイへ行ったときも同じような風景でした。春眠をむさぼっているようでは、日本の将来が見えません。質素倹約し、勤勉に働いてきた父母の姿を思い、先人が苦労して築いてきたお蔭を忘れることなく、商売に励んでいかなければと思い、帰ってまいりました。 |
喜多 計世 今まで人伝えやテレビ等で多少は中国のことは知っているつもりでおりましたが、実際にこの目で確かめて見て驚きの連続でした。その事を報告いたします。 3月5日 名古屋空港から2時間30分の短い時間で上海の空港につきました。そこで出迎えてくれたのは、金沢のデスタン株式会社で中国担当として働いている、呉さんと今回の旅行案内役、王さんでした。早速私達今回参加の18人で小雨の中、市内観光のバスに乗りました。案内役の、王さんの話しによるとこの一週間は殆んど雨で今日はやつと晴れてきたとのことでした、高速道路を走りながらバスの窓越しに見る高層ビルは高さ、デザイン、数に驚きながら市内に入り最初の中華料理の店に入り美味しい食事を味わいました。それから市内観光そして上海か一望出来るタワーに上り、3日間泊る、ラマダ、プラザ、シャンハイホテルに到着、このホテルは繁華街の真中にありましてなかなか豪華なホテルでした。 このホテルでの夕食の料理人は、広東料理上海NO―1で本当はこの日が休みでしてが私達の為にわざわざ特別に広東料理を作ってくれたとのことでした。特に今でも忘れない味は、たっぷりフカヒレが入ったス−プでした。 3月6日 2日目は上海市内から離れた「エ−スかばん」中国工場見学と佐々木副総経理の話しでした。私はエースかばんの創業者、新川さんが、私の出身地近くなのでとても興味がありました、私達はこの上海旅行の注意事項に、お金、パスポートは自分の体から離さない様にと言われていたのですが、佐々木副総経理が工場案内する時に「この工場は何を置いていっても大丈夫です」との一言がいまでも残って居ります、人は変える事は出来ないがその人の環境、立場、教育等で変わるのですね。550人の社員の全てを信頼して経営している佐々木さんに、心から敬意を致しました。仕事をしている人に話しを聴きますとこの工場で働いていることに誇りを持っているとの事でした。とても学びの有る工場見学でした 午後からは「華東輸出入商品交易会」の視察でした。バカでかい会場に衣料品を中心沢山の業者が商談を進めている様子をみていたのですが、私の目から見てなるほどこれなら日本で売れると感じた物はあまり見当たりませんでした。 その後市内で夕食をとり夜は上海雑技団(サーカス)鑑賞で2日目は無事過ぎました 3月7日 この日は朝から、ジェトロ(日本貿易振興会)の石川経済交流部長の良沢さんから上海の現状と今後についていろいろ学びました。今中国では競争相手は日本ではなく、国内の中で厳しい競争が始まっている、日本を意識している暇がないとのことでした、中国は今まさに高度成長していると感じられました。 午後からは伊勢丹デパート社長の「上海の流通状況」のお話しを聴かせて頂きました。 中国の賃金は、上海の郊外の工場などで働く人は、約600元(1000円)程度で市内では約1000〜1300元(16000円〜20000円)大卒のエリートになると2000元〜5000元(32000円〜80000円)との事でした。面白い事に年齢が35歳以下の人の60%か1500元以上で35歳以上の50%が1500元以下との事です、これは完全に成果主義の社会であると感じました、日本も成果主義を定着させないと危険であると強く感じました。伊勢丹ではその様なデータから上層の5%のお客様の人達のターケットにした販売戦略を取り入れているとの事でした。 伊勢丹が何故上海で成功したのは、社員に挨拶を徹底的に教育したからですとのことでした。やはり最後は人であると思いました 又今成長がしてきているのは、住宅、金融、保険、旅行で特に中国人は賭け事が好きですから株はとても人気が有るとの事です。 私は伊勢丹社長のお話の後一人でデパートの中や街を歩きましたが、これは日本でもハイクラスと思われるお店があると思ったら日本では考えられないと思う光景を見て、中国社会の落差が凄いと、つくづく感じました。 上海の最後の夜はフランス大統領も食事をされたレストランで美味しい中華料理を頂いて今回の研修旅行日程を終えました。 3月8日 今回の参加者18人とても良いコミニケイションがとれ楽しい旅の思い出をお土産に全員無事帰国して金沢に帰れたことに感謝して今回の商業界、上海研修報告書と致します。
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木村 基
とにかく海外旅行など10年に1度の私ですから、参加の目的は、海外に身を置いて、日本がどのように感じられるかを実感してみたいという、単純な動機でした。 同行の皆さんには慣れたセレモニーである、出入国手続きや通関手続き等がすでに楽しい経験でした。 1日目の豫園および豫園商城では、正月行事が終わったばかりとかで、お祭りのきらびやかなかざりつけも残っていて、私の頭に描いていた、まさに中国の街、中国のにおい、中国のいろ、中国の勢い等を感じながら、その場の空気に浸りきりました。 10日間の雨上がりとかで少々空気が湿りがちなのも、ガスがかかるのも異国情緒を刺激されて非常に印象が良い体験に成りました。 東方明珠は新しいこれからの上海とかで、まだ建設途中の感があり人も車も余りいなく、 ただ、だだっぴろい空間に巨大な建築物群が次の活躍を待ってねむっている感じでした。 世界1高いテレビタワーの220メーターの展望台からの360度の眺望は、さすがに迫力があり、また其処から伺える景色は、世界に向かっての中国政府の経済政策の、並々ならぬ力の入れ方を物語っているように思えました。 また日本には無い大きなスケールを、肌で感じ取りました。 2日目の日本から進出した「ACEカバン」工場見学での印象は、ちょうど40年前の、私が高校生頃の日本の、縫製工場を思わせる感じでありました。
副総経理の言葉に感じ入った次第です。 午後からの「華東輸出入商品交易会」視察はとにかく足が疲れました。 一応全部のブースを見て回りましたが一体幾つあったのでしょうか。 種々の日本文化がどんどん経済活動として中国で生産され、日常品から棺桶、神さん棚まで異国で作られている実態が現実として読み取れました。
中国は今後世界の製造国となり、日本はますます厳しい状況になるのではないかとの感を受けた視察でした。 夕食後の上海雑技団観賞は、以前からTV等で見て知っていましたが、前の方の席で実際のものを見る機会を得て、本当に素直に満足しまた感動しました。 ミッテラン仏首相も食べた飯店での美味しい名物料理の後のせいか、はたまた食事の時の紹候酒の飲みすぎか、時代をワープして清朝の皇族の席にでも、紛れ込んだような気がしたのは私だけでしょうか。 3日目朝一番ホテルでJETROの良沢さんよりレクチャーを受けました。 良沢さんは石川県のお役人(石川経済交流部長)で、JETROの上海事務所へ出向中だとか。
等々であった。 お昼からは上海・伊勢丹デパートの総経理(社長)よりレクチャーを受けました。 登ト 小平氏の開放路線以降 急発展したが、今も発展段階にあるとのこと。
くれてやるという意識がまだ強い中、「ありがとう御座います」と頭を下げる教育を重視してやっています。 当店では成果が出始めていて、だんだん定着して来ています。 日本から流通視察に来た我々一行に対して、本当に紳士的に語って頂きました。 おぼろげながら今の中国・上海の事情が得られたと思います。 さてこれらの小旅行を終えて、私の感じたことは、たとえ近い異国にでも身を置いて見ると、やはり祖国である日本の良さに気付くのでした。 不況の真っ最中であり、政府のどたばた劇のまっ最中であり、悲しくなるような状況では有りますが、そうで有ればこそ、私は日本の未来に責任のある人生を送って行きたい物だと感じました。 以上 |